梅雨は「梅」の「雨」と書いて『つゆ』または『ばいう』といいますが、梅雨という単語の成立の由来や起源というのはどのようなものなのか?答えられる人というのはなかなかいないのではないでしょうか?そこで梅雨の語源について解説したいと思います。
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梅雨(ばいう)
梅雨の漢字表記は中国より伝わったもの?!
中国では6月の長雨のことを「梅雨」と書いて『meiyu(メイユー)』と読みます。実は中国でも梅雨という言葉が使われるようになった経緯がはっきりしていないため、現代でもあいまいなままとなり様々な説があるのです。
そのひとつとして黴(かび)の生えやすい時期の雨という意味で「黴雨(ばいう)」と呼ばれていて、それでは語感が良くないため季節に合った同じ音の「梅(ばい)」の字を使って梅雨と呼ぶようになったという説があります。
梅雨という詩がある
杜甫(とほ)という中国盛唐の詩人が「梅雨」という詩を残しています。そこには“4月になると梅の実が黄色く熟する”という一文と、“梅雨の細やかな雨が降り続き空は暗い”という一文があるのです。つまり、梅の実が熟すころに雨が降り続いていたことになり、この詩の題名から杜甫が生まれた712年以降には梅雨と呼ばれていたと捉えることができます。
梅雨は歳時記に記録がある
俳諧や俳句の季語を集めて分類し、季語ごとに解説と例句を加えた書物が歳時記。日本独自の歳時記としては『日本歳時記』が始まりとされ、そこには“此の月淫雨ふるこれを梅雨と名づく”という一文があるのです。梅の熟す時期の雨という意味となり、杜甫の詩と同じ雨のことを指していることがわかります。
日本歳時記は貝原益軒(かいばら えきけん)によって1688年に刊行されたことから、日本では江戸時代から梅雨と呼ばれるようになったと言えるでしょう。
そのほかの説
- “梅”の熟す時期の“雨”という意味で、元々「梅雨」と呼ばれていたとする説
- この時期は“毎”日のように雨が降るから、「梅」という字が当てられたという説
- 普段の“倍”くらい“雨”が降るから、「倍雨」と呼ばれていたとする説
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梅雨(つゆ)と呼ぶようになったのは?
元々は墜栗(つゆ)と呼ばれていた?!
中国で梅雨(ばいう)と呼んでいたのに、どうして日本では梅雨(つゆ)と呼ぶようになったのか、これも詳細については不明で様々な説があります。
「つゆ」というのは日本で生まれた言葉で、日本国語大辞典によると室町時代の国語辞書で見られるのが最初の例とされています。このころは「墜栗」などと書かれていて、栗の花が墜(お)ちるころだということで「墜栗花」と書いて「ついり」(梅雨入り)と表現することもあるのです。
とはいえ詳細は不明
ほかにもこのような説があります。
- “露”けき時節という漢字の読み方を使って「つゆ」と読むようになったという説
- 梅の実が熟す季節であることから「つはる」という言葉が徐々に変わっていったという説
- 物が湿り腐る「潰ゆ(ついゆ)」の読み方をそのまま使ったという説
- カビが繁殖しやすい季節で消費物が増えることから「費ゆ(ついゆ)」という言葉が徐々に変わっていったという説
このように梅雨の語源というのは未詳部分が多いのです。
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